久々のブログです。すっかりご無沙汰しておりました。
昨日、パーキンソン病の方の患者会「パーキンソン病友の会」の札幌支部の皆さんが企画・された、オンライン交流会というのがありました。
コロナ禍で使うことが増えた人も多い「zoom」を使っての交流会。今回で3回目の開催でした。
毎度、様々な企画が盛りだくさんで活気のある交流会の中で昨日は「リハビリの時間」を私、後木が担当させていただきました。(詳しくは、別な機会に書こうと思っています。)
この度、お伝えした運動はとっても地味でのんびりした内容で、呼吸や自分の体を観察して「いかに楽に」「いかに全身を使って」行えるか?ということに着目して行いました。
冬の間に縮こまった心身を春を迎えてのびのび快適に過ごせるように・・・というのがテーマ。
そして、私の中では、「どうやったら頑張りすぎることを手放せるか?」が裏テーマでした。
その事が影響したのか?毎週参加しているヨガのクラス(子連れでも行っても良いという、赤ちゃんの母には嬉しいクラス)のシャバーサナの時間にふっと昔の話を思い出しました。
それは、病院に勤めていた時に半日だけ訪問リハビリに出させてもらえるようになったばかりの頃のこと。(かれこれ・・・10数年前のことです。こういう、普段全然思い出さないことをふっと思い出したりするのが、ヨガの面白いところの一つ。)
脳梗塞の後遺症があって退院されていた患者さんのお宅に訪問して「ソファから立ち上がりにくい」という課題があがりました。
院内で脳卒中の後遺症の方を多くみていた私は、なるべく物には頼らずに自力で立つ事を繰り返して力をつけていきましょう!という提案を考えました。
そして、それは、その当時その病院内でのリハビリでは主流の考え方でした。頑張って、頑張って、できるようになろう!という発想。
訪問リハビリの先輩や上司ににそれを伝えると、「おいおいおいおいおいおい。待て待て待て待て待て。」と制されました。
普段その患者さんが過ごすのがソファ。朝起きて、ソファに座り、ご飯を食べに食卓へ移動するためにソファを立ち、トイレに行くためにソファを立ち、水を飲むために、電話を取りに行くために・・・一日何度も立ったり座ったりするのがそのソファなのです。
「何かしたい」と思った時に立ち上がる場所。それがその人にとってのソファ。
そのソファから立ち上がりにくいなら、「立ちやすくする」のがまず先でしょ。と。
で、突っ張り棒式の手すりをすすめられました。
「頑張ってじゃなきゃ立てない場所から、何かやりたい!って気持ちが生まれるかい?」
「楽々立てるから、さぁ、なにしに行こうかな!って考えられるようになるんじゃない?」と。
頑張って頑張って、頑張った先に目指す生活を手に入れることができる!
その選択肢しかなかった私にとって目から鱗でした。
手すりなどの福祉用具は、「頑張ってもできなかったら助けてもらうもの」という刷り込みが知らず知らずにあったのです。
物に頼る前にできることがあるんじゃないか!?って思ってたのです。
でも、物に頼ってできるようになってから、いらなくなったら返せばいい。という選択肢があったのです。(介護保険を使うと福祉用具はレンタルできるのです。)
そんなことも知らずに、自宅に障害をもったまま退院していく人のリハビリをしていた頃の自分。
頑張って頑張って頑張ることしか選択肢がなかった自分。それを思い出しました。
いやーーー穴があったら入りたいっっ。
頑張ることが悪いわけでも、違うってわけでもないのです。
でも、頑張らなくて、むしろ頑張らない方が、体が心地よく動けるってことが多々あります。
頑張ると心身は緊張します。緊張が続くとそれが当たり前になって緊張に気づかなくなります。
緊張も大事。でも緊張が解ける時間も大事。
私は、まだまだ、少ない努力で、少ない力で、快適に動く修行中です。
息を詰めて作業している瞬間にハッとします。
知らず知らずに手先足先がガチガチに緊張してハッとします。
背骨のほとんどが塊のようになって首だけ頑張りすぎて、肩こりすぎて頭痛がして気がつくことも多々あります。
そんな知らず知らずに頑張りすぎる自分だからこそ、力の抜き方、心身のゆるめ方、のびのびする方法で前より少し楽になってきました。
その体験を活かしてお伝えできる事があるのかもな。と思っています。
次回のまめヨガのクラスは3月28日です。
そして4月から私の練習のための時間「まめヨガ同好会」を週1回始めます。
そのお話は、また今度書きます。
写真は突っ張り棒タイプの手すり。
誰にでもおすすめなわけではないです。
目的次第では選択肢の一つです。
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